2011年8月19日金曜日

佐野眞一「津波と原発」を読んで

津波と原発津波と原発
佐野 眞一

講談社 2011-06-17
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佐野眞一著「津波と原発」を読みました。

 この本は、フリージャーナリストの佐野眞一氏が、東日本大震災で生じた2つの事象、すなわち、1つは大津波による被害、1つは東京電力福島第1原子力発電所事故を、佐野氏自らの足で取材し、それを書き下ろしたものです。

 本書の構成は、大きくは2部に分かれていて、第一部には「日本人と大津波」、第二部には「原発街道を往く」をテーマとしています。

 第一部の「日本人と大津波」では、まず、著者が、テレビ放映や新聞による報道に憤りを感じつつ、「今回の大災害を自分の目で見、自分の体で実感しておきたかった」こと等を理由として、昨年(2010年)に胸を開く大手術をした後にもかかわらず、この本の執筆を受けたことが説明されています。 そして、志津川病院の様子や、著者の旧友であるおかまバーの名物ママの消息や、三陸漁場の状況や、宮古の定置網の帝王と呼ばれる方の現況や、日本共産党の津波研究の第一人者の現況など、まさに現場の多彩な声が、著者の実際の取材に基づき、興味深く詰め込まれています。

 この第一部には、私個人的に特に心証に残った描写が「熱も声もない死の街」という節にありました。それは、著者が陸前高田市の中心部に入ったときに感じたことを表した次の言葉です。
 「・・・陸前高田の被災現場には、熱もなければ声もなかった。津波がすべてを攫(さら)っていった後には、人間の生きる気力を崣えさせ、言葉を無力化させる瓦礫の山しかなかった。ここには人間が生きたという痕跡さえなかった。」(25-26頁)
 この言葉は、著者自身が過去に取材した阪神淡路大震災やニューヨークの同時多発テロの被害状況と、陸前高田の被害状況を比較して、「神戸やニューヨークにはまだ人間の体温のぬくもりがあった。」と述べた後に、発せられた言葉です。

 私は、約16年前の阪神淡路大震災を、兵庫県尼崎市(稲野駅付近)で体験しました。1995年1月17日午前5時46分に大きな揺れが発生した後、私は、多くの建物が崩壊や延焼し、高速道路が崩落するなど、関西の地が被った甚大な被害状況をこの目で実際に見ました。私にとって阪神淡路大震災はとても衝撃的でしたが、前述の著者の言葉からは、津波による被害が、阪神淡路大震災の惨状からも想像がつかないほどに惨絶な光景であることが、強く私の胸に伝わってきました。

 第二部の「原発街道を往く」では、著者が原発近傍の現地に行った際に出会った農家やペットや家畜や原発労働者の状況や、原子力の父と呼ばれる正力松太郎などの力により原発が我が国に建設されるに至る経緯や、木村守江(福島県前知事)や木川田一隆(元東電社長)の力により福島県に原発が建設されるに至る経緯や、原発誘致の舞台となった町が過疎化阻止などの原発利権に翻弄されていく経緯や、原発労働の実態など、実に細かな取材に基づいた報告がなされています。

 我が国に原子力発電所が建設されたきっかけを作ったのは、米国の旧大統領アイゼンハワーの「アトムズ・フォー・ピース」の演説や旧国会議員で元読売新聞社社長の正力松太郎による「原子力の平和利用」といったスローガンに基づく活動によるところが強かったようです。また、原子力平和利用キャンペーンが正力の古巣である読売新聞によって大々的に実施された後(1955年あたり)、原子力平和利用博覧会(同年末)がすぐに開催され、あっという間に、欧米の原子力関係機関との交渉がなされた後に、我が国初の原子力発電所が東海村(他の候補地として私の出身地横須賀、群馬県高崎市がありました)に建設されたようです。

 福島第1原子力発電所の建設地は、過去には長者原と呼ばれ、太平洋戦争前は旧日本軍陸軍の熊谷飛行隊の練習場として使用されましたが、同練習場は米国艦載機の襲撃を受けて全滅してしまったそうです。そして、太平洋戦争後(1948年前後)に同練習場の1/3が国土計画(現西武グループ)の堤康次郎により買収され、塩田として使用されたのですが、その後、当該塩田事業の行き詰まりとともに荒れ地となったそうです。そこに、原発建設の計画が上がり、東京電力が1964年末までにこの土地を購入し、1966年から原発の建設が開始されたとのことです。

 この第二部で私が気になった言葉は、正力の影武者とも呼ばれた柴田秀利氏(元読売新聞記者、元NHKラジオニュース解説者)が、米国の旧大統領アイゼンハワーの「アトムズ・フォー・ピース」の演説の後に「第五福竜丸」の放射線被爆事故が起きた頃に、アメリカ政府使者ダニエル・ワトソンに述べた次の言葉です。
  「日本には昔から、”毒をもって毒を制す”という言葉がある。原子力は諸刃の剣だ。原爆反対をつぶすには、原子力の平和利用を大々的に謳い上げ、それによって、偉大なる産業革命の明日に希望を与えるしかない。」(140頁)
 柴田氏は、この言葉の通り、正力氏とともに、正力氏の影武者として、政策的に我が国に原子力発電所を導入させるに至らしめています。

 前述の柴田氏の言葉は、ある心理学の先生の言葉に非常に近いものを感じました。その心理学の先生の言葉は、確か、過去の経験がトラウマとして残ることがあるが、このトラウマを無くすためは、まずトラウマを体験した時にまで記憶を呼び戻し、その体験に修正をかける必要があるといった内容だったと記憶しています。

 確かに、我が国は、過去の戦争で広島と長崎の2か所で原子爆弾による被ばくを受け、当時の日本人の多くにとって、原子力は一種のトラウマになっていたと思います。柴田氏は、そこに目をつけて、”毒をもって毒を制す”の言葉通りに、まず日本国民に対して原子爆弾の記憶を呼び戻し、そのうえで原子力は平和利用であれば人類にとって有用であるいうように、日本国民の過去の原子力爆弾の記憶に修正をかけたのです。

 本書によると、現に、柴田氏の、”毒をもって毒を制す”の戦略は、原子力平和利用キャンペーンや原子力平和利用博覧会などで、着々と成功をおさめていき、日本の原子力政策は、アイゼンハワーの「アトムズ・フォー・ピース」の演説から、わずか4年の間に東海村の原子炉に火入れをするに至っっています。

 本書は、この度の未曾有の東日本大震災について、 主として、大津波による被害と、東京電力福島第1原子力発電所事故に焦点を当て、そこに関わる人々や、その土地、そして歴史を細かく調査し、それを生の声も含めて読者に伝えてくれます。そして、自然災害が至らしめた日本の現況について、なぜこういう状況になったのかを考えさせてくれる一冊といえるでしょう。

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